東邦の翌日は、いよいよ渋幕です。
愛知出身の友人によると、名古屋では名大と東大が並列に語られるそうですが、千葉では渋幕がそんな感じでした。
小学校の一つ上の先輩は「俺渋幕行くんだよ」と自慢してきましたし、近所の渋幕のお姉さんは超秀才と目されていました。小学校の同級生に至っては、私の結果を聞いて「で、(開成と渋幕)どっち行くの?」と真顔で訪ねてきたくらいです。
斯く言う私も当時は信者の一人で、高い合格実績への敬意、自由な校風への憧れ、難しい入試問題への恐れ、などを抱いていました。
そんなわけで、いよいよ本命、と緊張していたわけですが、そこは親切な渋幕のこと、テスト開始前に「受験体操」なるものをやってくれました。詳しい内容は覚えていませんが、驚いたことは覚えています。
もうひとつ覚えているのは、中学受験のクラスが一時期同じだったものの、ハイレベルな授業についてこれず、脱落した、髪がもさもさの目の細い、つまりブサイクな女の子と教室が一緒だったことです。その女の事は不思議な縁があり、3年後、当時通い始めた塾の春期講習でクラスが一緒になりました。御茶ノ水の塾なので、もしかしたら桜蔭かどっか都内の学校に受かったのかもしれません。ただ、その授業でも解くスピードが遅く、講師に「あなた、ちょっと遅いわよ」(←こんなこと言うのもひどいと思うが)と言われていたので、やはり勉強は苦手な子だったようですが。
問題の方は、理科が蜂を題材にした難問が出てきた気がします。算数のように計算を駆使する問題で、私は見事に解き切り、達成感を感じた記憶があります。
あとは、算数がちょっと難しかったんだっけな。
市川、東邦、渋幕の話はまだちょっと続きます。
長くなるので次の記事で。
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