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開成東大の私が、受験の教訓、語ります。

受験の神様

   

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採点バイト2

東大模試の漢文を担当することになったのでした。
私は受験生のころから、さらに言えば中学受験の受験生だった時代から国語は苦手でした。
(開成入試の際、国語で大苦戦した話は、「開成を受験した話」の記事で書きました)
さすがに、中学受験のころの模試の成績などは全く覚えていませんが、東大模試の成績について言えば、殆ど偏差値50台、時には40台なんてこともありました。まあ、40台だったのは、ハプニングにより国語の開始時刻に遅れたからなのですが…
この件については別の記事で詳述することとします。

しかし、模試というのは、受験生は数千円のお金を取られた上、会場に行けば、やれ携帯電話はを切れだの、やれ机の上に余計なものは出すなだの様々な注文を付けられ、大層物々しく行われるものの、肝心の最終局面、採点に関しては、アルバイトの学生たちの流れ作業によってなされるんですよね。
まあ、そんなに不真面目にやってるわけではありませんが、時には徹夜明けで夢と現を彷徨いながら、なんてこともあります。
あと、国語なんかは答案も非常に多様であるため、その答案にどれだけ得点を付与するかは採点者の主観に左右される部分も大きいです。
当然、採点者間で差異が生じるわけですが、それのみならず、一人の採点者の中でもその瞬間の気持ちによって、「まあ、微妙だけど〇をあげよう」となったり「本人のためにも厳しめで✕」となったり、差が出てきてしまいます。
こんないい加減な(?)アルバイト採点者たちによってつけられた点数も、紙に印刷されて出てくると、外見上権威が宿ったりして、受験生たちはこれに一喜一憂するわけですね。
このように考えていると、彼らに申し訳ないですね。(全部責任感のあるプロに任せたら、受験費用もだいぶ上がるわけですが…)

しかし、私は思うのです。
大学の先生たちも程度の差こそあれ、本質は変わらないのではないかと。
彼らも、短期間に大量も答案を捌かないといけないわけですから、疲労の中採点をすることもあるでしょう。人間ですから、ある瞬間には減点した箇所も、別の瞬間には見逃すかもしれません。
さらに、模試のように採点基準や正答は公表されませんから、例えミスをしようとも露呈することもありません。
勿論、最善を尽くしているでしょうが、人間の仕事です先に述べたようなことが無いとも限らないのです

ボーダーから余裕の点数をとれば関係のない話ですが、スレスレの人の場合最後の1点は結局運次第かもしれませんね。

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採点バイト

採点バイトをやっていたことがあります。

採用試験は英数国を受けました。
英語は、大学でも授業があることや、家庭教師で教えていることもあり、まあまあできました。(要約は久しぶりでかなり困りましたが、どうにか書き上げました)
続いて数学。私は文系受験ですので理系範囲は大学でやった基本的な微積と行列くらいしかわかりません。まあ、どうにかなるっしょと思い受けたのですが見事に撃沈。
最後は国語。国語の採用試験はセンターレベルと聞いていたので、まあ、衰えているとはいえ元東大受験生の俺様なんだから行けるっしょ、とたかをくくっていました。
問題が配られます。見ると、現古漢揃ってます。これは想定内。
さあ、どれから解き始めるか。ここで、受験時の鉄則をふと思い出しました。
「始めに短時間で確実に得点できる古漢を解け。時間のかかる現代文はあとからじっくり取り組むんだ」
そうだったそうだった、と思いながら、古文を解き始めます。
しかし、2年も経つと、すっかり忘れているもんですね。
あれ、指示語は言い換えるんだっけ?主語も補うんだっけ??
単語や文法も忘れていますから、昔のようにはスイスイ行きません。
そんなこんなで現代文を解き始める頃には、もう残り15分くらいになっていました。
現代文は解き終わりませんでした。

あ~、結局まともにできたのは英語だけだったなぁ。まあ、一科目でもできて良かったけど。などと思いつつ過ごしていると(そもそも、シャーペンを忘れてフリクションで解く、という気の抜けようだったが)そのうち合格通知が届き、研修を受け(この時の話はまた後日)、いざ仕事となりました。

初仕事は東大模試の漢文でした。
国語全体では完答すらできていませんでしたが、細かく出来をチェックしていたようで、漢文を任せられることとなったのです。

仕事の詳細は次の記事に書きます。

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世界史 荒巻豊志先生の教え3

Z会での荒巻の講座の受講を止めて、東大特進に切り替えたのでした。
塾の重要な機能として、受験勉強のペースを保つ機能がありますが、毎週毎週は授業を行わない特進でも別に問題はありません。
世界史の論述対策の授業なんて、毎週毎週受ける必要なんてないと思います。
実際、Z会で彼の授業を取り続けて、英数もまだ固まってないのに、世界史に多くの時間を奪われ、結局落ちた、という人を複数知っています。

そんなこんなで、東大特進で受講は続けたものの、荒巻信者にはならなかった私ですが、彼のアドバイスで一つ印象に残っていること、そして今受験勉強をやっている人にもためになるようなことがあります。

東大特進の講義の中で彼は言いました。
論述で強くなるために、やるべきことは何か。それは教科書のフレーズを覚えることだ。今日から毎日1センテンスでいいから暗記していきなさい。
「教科書から表現を盗むんです」とも言っていました。
当時、用語を覚えることに必死だった私は、「表現方法まで覚えてらんねーよ」と思い、1度としてフレーズを暗記することはありませんでしたが、最近その重要性を理解できるようになりました。

入試の論述と言うのは、国語にせよ、世界史にせよ、地理にせよ、字数との勝負になります。
これらの科目は加点方式で採点すると言われていますから(自由英作文なんかは逆に原点方式だと思われるが)、答案にできるだけたくさんの情報を盛り込んだ方が得点も高くなりやすいです。
しかし、東大模試の答案を採点していて思うのは、皆解答例に比べて表現が冗長。一つのポイントに字数を割きすぎて、要素が入りきらず、完全正解を逃してしまう。
なぜ、冗長になるのか?
それは言葉を知らないからです。表現力が乏しいからです。
自分が頭の中で考えているアイディアを、簡潔にしかし正確に表現する力が足りていないのです。

最近担当した地理を例に出して説明しますと、
例えば風土の説明の際「高くて湿気が少ない」ではなく「高燥な」と書くべきです。
「一年を通じて供給する」ではなく「周年供給」。
「景気の悪化」ではなく「バブル崩壊」。
簡潔に厳密に。

どうすれば、表現力が身につくか。
その答えが冒頭の荒巻先生のアドバイスです。
教科書だったり、新聞だったり、作家だったりの表現を盗んでしまうのです。

この努力は、すぐに結果が出るものではないので、受験生当時の私がそうであったように、実行できる方はそんなに多くはないかもしれません。
しかし、文章を書いたり、人に説明したり、ということをするのなら、遅かれ早かれ、多かれ少なかれやることになる努力だと思います。

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